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「知っていますか?」
今日も、彼女は意味深に声をかけてくる。

無題

背中の方から、時折微かに身体をもぞもぞさせている音がする。

…眠れないのかな。

アスナは気になって、ゆっくりと寝返りをうってその姿を目に収める。

月明かりに照らされ、その少年のようなあどけなさをやつしたキリトの顔は、しかしほんの少しの苦しそうな表情を宿していた。

やがて視線に気がついたのか、彼はゆっくり眼を開くと、すぐさま両手で頬杖をついてそちらを眺めていたアスナに気がついたようだった。目が合うと、キリトは苦笑を浮かべた。

「眠れないの?」

「ああ、ちょっとな」

「珍しいね、キリトくんがそんな風になるなんて。いつもはぐっすり眠れてるのに」

キリトはふうとゆっくり息を吐き出すと、視線を天井の方に流した。

「ちょっと、色々考えちゃってな」

「色々って?」

「どうして俺たちはこんな目に合わなくちゃいけなかったんだろう、とか」

「…」

それはつまり、ゲームの中に囚われの身となってしまったこの境遇のこと。

自分が望んでもみなかった状況に追い込まれてしまったこの不条理さ。

足掻いても足掻いても、その終わりの欠片すら見えてこないこの毎日。

彼の一言にはそんな幾多もの苦しみの断片が隠れているような気がして、アスナは思わず自分の手をぎゅっと握りしめた。

「なんでだろうな…そういうことを考えると、不思議と弱気になっている自分がいる…たくさんの俺たちに期待を寄せてくれている人たちの気持ちに応えられるのかな、って…」

そんなこと…

「ダメだな、俺がこんな風になってちゃ…こんな風に思っちゃう俺も本当は弱い人間なんだろうな…」

「そんなことないよ、キリトくん」

アスナは上体を起こすと、少し語気を強める。

「君が弱いなんてことは少しもないよ」

アスナ?」

「だって君は、私のことを守ってくれるんでしょ?」

「あ…」

大切な約束。2人で交わした、この世界での最優先事項。

「それでももし、キリトくんが弱気になっちゃうなら。私がひとつ、いいことを教えてあげる」

アスナはそこで小さく息を吸い込むと、少し目を伏せた。

「あのね、キリトくん。

 

みんな誰にだって、辛い時、悲しい時があるよ。

苦しくて、でも逃げられなくて、もういなくなってしまいたいと思う時だってある。

でもね、そんな日もいつか、優しい風が吹く穏やかな日に変わるから。

だから、心配しなくても大丈夫。

今はまだ信じられないと思うけど、いつか必ず、その時が来るから。

だから、今を諦めないであげて。

今を諦めちゃったら、その時は絶対に来ないから。

あんなこともあったねって、笑いながら思い出せる時が来る。

それを信じて。

 

いつかきっと、私とキリトくんが思いっきり笑って、遊んで、時には泣いて、そんな日が来るから。だから今日はもう、ゆっくり眠って…」

アスナが微笑むと、キリトも優しい笑みを浮かべてから目を閉じた。

それを満足そうに確認してから、アスナも再び仰向けに寝転がる。

瞼を閉じる寸前、

ありがとう、アスナ

という声が聞こえた気がした。